「当たり前」だと思っていたことが実は違っていたかもしれない
多分 「最初」が一番肝心で。
今まで生きてきて
最初に聞いた話
最初に教えてもらった事
そしてその 最初 を ずっと 正解 だと思っているような気がする。
そして 正解 だと思っている事は
当たり前に 正しい と 思っていて。
誰かが別の事を言っても
「それ、間違ってるよ」と 感じてしまう。
そして 自分の中の 正解 を ずっと持ち続けて生きている。
長い年月が経って。
その 正解は 揺るぎがないものになっていくというか。
それが正解かどうかなんて 考えたことすらなかった。
私は 自分の心の中しか分からないので
誰もがみんなそうだとは限らないんだけど
一番最初の最初、って 親 なんだと思う。
親からの言葉 って どこか 絶対的なものがあるというか。
大人になってくると
親も人間だから、と 同じ目線で見れるようになるけど
小さい頃は 最初に目にする大人は親で。
絶対必要な存在が親で。
その絶対的な存在の親の言う事が
間違ってる とか 他の親と違う とか
よそと比べる心の余裕というか
比べようと言う気持ちすら沸かない。
親が絶対的存在で。
そしてその親が作り出す家庭が最初に触れる社会で。
その家庭(社会)の常識が
世界の常識だと思っていた。
うちは比較的厳しい家だったので
夜は8時に寝なくちゃいけなかったし
門限は6時だった。(部活は除)
そんなの小さい頃からずっとそうだったので
それは「当たり前」の事だった。
週に一度 土曜日は「8時だよ!全員集合」を見る為に
土曜日だけは9時消灯が許された。
週に一度の 8時だよ全員集合を見る楽しさ
それに加えていつもより1時間夜更かしできる嬉しさ。
土曜日は 日曜日よりも嬉しい日だった。
毎日夜8時、土曜日だけ9時が寝る時間。
でも唯一寝る時間が決まってないのが大晦日。
年に一度しかやってこない大晦日!
「好きなだけ起きていていい日。寝る時間が決まってない日」
が、私(の姉弟)にとって大晦日。
だから大晦日はみんなテンション上がるというか
夜遅くても出歩いてたり
日本全国民が浮かれてるんだな(*´∇`*) と 思っていたw
小学生になって
友達と大晦日の話になった時
友達が「私は大晦日10時頃に寝ちゃうかも」と言った。
私「えーーー!もったいない!!大晦日だよ!?
せっかくの大晦日なのに10時に寝るなんてもったいない!」
友「でもいつも10時頃に寝てるからいつもとかわらないし。。。」
私「え!?大晦日じゃないのにそんなに遅くまで起きてるのっ??( ゚Д゚)」
そんな事があって
各ご家庭で それぞれのルールがあるんだな、、と知った小学生時代。
あ、またしても
前振りが長くなってしまったのですが(ここまで前振りかいーっ)
小学、中学、高校、大学(私は行ってないけど)、社会人、と
その時々で出会う環境によって
いろんな影響を受けて。
どの環境に居ても
最初に教えてもらった事 って心にずっと残ってる。
でも、昔の常識は今の非常識、と言うように
時代ってすごくすごく変化していて
本当に昔常識だと思っていたことが
今は違っている事ってすごく多いな、と感じるようになった。
最近、「あぁ、確かに。。。」と思ったのは
給料の話。
私社会人になった時
研修が終わって 各部署に配属が決まって。
で、人事に言われたのは
「最初の1年はみんな給与は同じです。
でも2年目からは上司の査定で昇給、ボーナス、差が出るので
同期であっても給与は教え合ったりしない事。」
と 釘をさされた。
なるほど、確かに、比べてもいい事はないし、と
誰かに給与を教えたりしたことはなかった。
今まで同級生同士でも給与の話、私したことがなかったかも。
給与の話に限らなくても
聞いても自分にとってプラスにならない事は
私は耳に入れたくない主義だし。
そして会社でも
「聞かれても自分の給与は絶対言わない事」
と 新入社員が入るたび言ってた。
人と比べてもいい事ない、逆に気持ちが凹むだけだし。
今の給与で満足してたとしても
他の人の給与を聞くと「え?なんであいつより自分給与低いの?」
と 不満も出て来る。
「もし 自分はもっと評価されてもいいと自信があって給与に不満があるなら、上司に話してなんで自分の評価が低いのか聞いた方がいい。自分のマイナスを知らないとそこをプラスにできないから」
と
人と比べるよりまず自分、と言う風にみんなに言ってきた。
私にとって
給与を教え合う=常識がない人 だと思った。
でもさ、でも。
それって 違ってたんだ と 最近気づいたw
給与を教えるな、と言うのは 会社の都合であって。
会社がちゃんと正当に従業員を評価してるのなら
別に教え合ったって 見せ合ったって
全然平気なんだよね。。。。←しみじみ
確かに 私は(と言うか私の会社は)給与が微妙。
なんでこの人にこの手当が?
何でこの人の評価がこんなに低い?
そんな事が多々ある。
みんな給与を見せ合ってたら
そんな不当な評価は
上司に話してみるとかして少しは解決するんじゃないかな、と。
(そんなうまくはいかないだろうけど)
なんか 給与を絶対教え合うな と言われてきたから
今の時代の
教え合って何が悪いの? という考えに
最初
「みんな常識がないな。。。(´゚д゚`)」
と 思ってたんだけど
根っこから考えてみると
「確かに、、、別にダメじゃないよね、、、」
と言う気持ちが芽生えてきた。
ダメダメ、常識ない、非常識!普通はさ、、、
そんな自分のカチコチ頭、少しは柔らかくしなくちゃダメだな、、、
と 思ったのでした。
画像は3.11の震災後購入したソーラーバッテリー。
いざと言う時の為に、と購入したんだけど
1度も使ったことがない。
満タンにして「よしこれでOK!」と満足して
8年以上、目にしてなかった(車に積んであるんだけど)
私、ソーラーのものじゃなくても
モバイルバッテリーは持って歩いてない。
家で充電すれば十分だし
車でも充電できる
会社でも充電できるし。
だから必要性を感じなかった。
でも 持っていた方がいいよね、とふと思い立って。
購入しよう、、いや、確か持ってたような、、、
と 買ってあったのを思い出して車の中をゴソゴソ。。。
見つけて出してみたら 何とも懐かしい。。。。
みて、これ。
買った頃は
「最強セットじゃんー!これで誰の何の媒体でも充電できる(´艸`*)」
と、ホクホクしてたの。
でも今では携帯関連の口は使えないものばっかりw
時代の流れだわ。。。
10年経ってないのに。。。。
時を戻そう。←違
いや、何が言いたいのかと言うと
月日が流れて
いいと思っていたものがそうでなくなっていたり
当たり前にあると思っていたものが
当たり前じゃなくなったり。
時間は確実に流れていて。
モノや人や常識
色んなものが少しずつ変化してるんだな、、と
ここ数日しみじみ感じたと言うか。
少しずつの変化を
知らずに過ごしていたら
180℃違った世界になっちゃう可能性だってあるじゃない?
だから
少しの変化に
ちょっとずつでも順応していく生き方をしたいな、、と思った訳です。
非常用具も 持ってて安心って思いがちだけど
ちゃんとそれが使えるかも確認しなくちゃダメだなぁ。。。
このソーラーモバイル 当時7,000円ぐらいしたんだよなぁ。。。
それで3500mAh
今その半額の値段で24,000mAhのものが買える。
って事で ソーラーモバイル買いました←おい
(私が購入したのは2,500円で15,000mAhのものだけど)
どうしても 電気がない時の為に、、、と
ソーラーとかカセットコンロ、ランタン、そんなものを
備えて置きたくなってしまうのですよね。。。