パラリンピック最高でした

ちょっと時間軸がズレてる日記ですが。。。笑

心動いた事とか

ちょっとした気づき、

考えた事とかをブログに残したいので

どうしても「パラ最高!」と 残して置きたかったのです。

 

オリンピックの時も思ったのだけど

「こんなに競技を最初から最後まで見たことがなかった」と。

 

オリンピックですらそうだったのに

パラリンピックになると ほぼ見たことがない。

ニュースで メダルを獲った、と知って 「よかったね^^」

と、軽くスルーしてた感じだった。

車椅子テニスの国枝さんぐらいしか知らなかったかも、、、。

 

正直な話、私は 障害者 に 自分から関わろうとは思わない。

 

優しい世の中になってほしい

すべてにおいて 物理的にも心の在り方にも

バリアフリーになったらいいな、と思う。

家族が介護状態や障害者になったら

自分にできること探してせいいっぱいやることはやるつもりでいるんだけど。

 

 

 

 

いとこに障害者がいて。

小さい頃 そのいとこの家に行くが 気が重かった。

いとこのタクくんは 歩けない、話せない、意思表示は叫ぶ声というか

あ゛ー あ゛ー! という奇声と

何かして欲しいとか 怒っている時は

動かせない腕をテーブルにダンダン叩きつける。

上手く食事もできなくて

いつもよだれが出てる状態。

 

タクくんの家族にとっては

当たり前にタクくんは誰とも変わらない家族の一員で。

嬉しい、楽しい、怒り が 表情でわかるらしく

普通に接していた。

タクくんは私と同じ年だった。

 

私はタクくんの事を 嫌いという訳ではなくて

話しかけても伝わるかどうか不安。

何か私がしたことで機嫌を悪くして暴れたらどうしよう とか

「どう接していいのかわからない」と言うのが正直な気持ちだった。

多分、家族はタクくんの扱いに慣れているので

当たり前に食事の世話をしたり

話したりしていて。

 

素直にそれって すごいな、、というか

私とは人間レベルが違うのかもしれない、という

変な敗北感というか。

 

私は 優しくない人間だ。

だからこと 優しくありたい と強く思ってる訳で。

結局 それは優しくないからそう思っているんだ、と思う。

 

誰にでも分け隔てなく優しく なんてできない。

片腕がない 片足がない

それを見た瞬間 一瞬たじろぐ。

見てはいけないものを見た気持ちになってしまう。

受け入れるのに少し時間がかかってしまう。

変に同情するのも違うし

変にやさしいふりするのも違う。

そして 結局見なかったフリをしてスルーしてしまうような感じで。

 

私は 障害者を かわいそう と 勝手に同情してるのかもしれない。

それは差別なのかもしれない。

だから そんな自分がイヤで 障害者を見たくない、と思ってしまう。

24時間テレビもそんな理由で小さい頃から苦手だった。

障害者をテレビに出して晒してる、と印象しかなかったから。

 

でも、初めてパラリンピックを見て。

知らずに泣けていた。

よくわからない。

嬉しそうに競技をする人ばっかりで。

いろんな障害があるのに

みんな自分のゴールを決めて

そこを必死に目指している。

なんて尊いんだろう。

特に水泳なんて

体一つで。

腕がない 足がない 目の前が見えない、

そんな私には想像つかない不自由な状態で。

 

心の底から尊敬したし

心の底から感動した。

なんなんだ この 尊い競技は。

どの競技を見ても 感動が止まらなかった。

 

絶望って

誰かから与えられるもので。

でも

その先の希望は自分が作り出す世界なんだ、と感じた。

 

パラリンピックを見て

ひとりひとりの人生の

絶望からの希望 を見せてもらった気がした。

どの国もどの競技の選手の存在自体が尊かった。

 

多分、自国開催だから こんなにたくさんの競技を見れた。

パラリンピック開催してくれて本当にありがとう と思った。

 

私は こんな風にきれいごとを並べるし

何か人の役に立つ事ができる人間じゃない。

それを自分でわかってるから

共感して欲しいとか

誰かの心を動かしたいとか

そう思ってブログを書いてる訳ではなく。

 

自分の気持ちの綴り場としてここを活用してるだけなので

おばさんのひとりごと、的な感じで

読んで不愉快になる人がいたら

静かにスルーしてもらえると助かります。

 

コロナ禍で 今まで以上に行動の範囲が狭くなってけど

でも 心の範囲まで小さくならないようにグイグイと広げていきたい。

色んな事をきっかけに

もっと優しい自分になりたいなぁ。。。

 

 

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